![]() |
![]()
![]() |
|
タツ街道との交差点から北へ下る将軍道
|
![]() |
上の写真および左の写真は将軍道がタツ街道と交差した地点から、北の低地部へと下りて行くところを撮影したものです。ここには古代駅路の特徴である真っ直ぐな道が続いています。丘陵越えでも迂回することなく進む道の直進性には感心させられます。ただ、この付近の道は写真からでは想像がつきませんが、夏や秋には雑草に覆われてしまい、全く歩くことができなかったのです。夏と冬では信じられないほどの変わりようなのです。この坂を下れば最初の八方口から2つめの丘陵を越えたことになります。 |
| 那須烏山市教育委員会による東山道の調査では、丘陵から低地部に下るこの付近でも発掘が行われています。この付近の道路は路面が丘陵の一支丘の南端に造られているため、ハードローム直下まで削平し、その上にロームと小川スコリア等を混ぜた土で盛り、硬く叩き締めて路面としていたと報告されています。ここでいう「小川スコリア」とは砂利質の火山灰のことで、路面敷土(硬化面)として用いられ、馬屋久保遺跡では多くの発掘地点から確認されているようです。関東南部の多摩丘陵などの道路遺構には見られない路面敷土です。 | ![]() |
![]() |
ホームページの作者が見てきた、多摩丘陵や箱根西坂の道路遺構では、特殊な青みを帯びた粒子の細かそうな灰色の土を路面に使用していることが多いように思われました。 左の写真は将軍道が低地部へさしかかる付近のものです。現在では歩く人もほとんどいない細道ですが、奈良時代から今日まで、道として踏襲されてきたことには感動させられるものがあります。このような古道跡の道は、可能であるならば史跡として、後々の時代まで、このまま残してもらいたいものです。 |
![]() |
|
低地へ下りたところで将軍道を振り返る
|
| 上の写真は低地部へ下りてきた将軍道を振り返って撮影したものです。季節は3月上旬です。草はほとんど枯れています。この写真で気が付くことは、現在の細道の東側(写真では道の左側)に不思議な平坦部があり、その平坦部が写真のところで切れるようにさっぱりと無くなっていることです。平坦部の上が林になっているのでよくわかります。この道脇の平坦部は道路と関連があるものなのでしょうか? 付近には尋ねられる人は誰もいません。人といったら、遠くに畑仕事をしている人がひとり見られるだけです。右の写真は低地部へ下る最後の坂を道脇の平坦部から撮影したものです。 | ![]() |
![]() |
低地部に下りてから少し進み、再び振り向いて見ます。坂を下る道脇に平坦部があることは、ここからでもわかります。左の写真がそれですが、今度は6月に撮影したものです。3月に枯草だったところは6月には緑に覆われていました。この写真の風景では、簡易舗装の道以外には、現代的な人工物は何も見られません。この道が、奈良・平安時代に陸奥へ向かう幹線道路であったなどとは、知らなければ全く想像がつかないことでしょう。 |
![]() |
|
今も真っ直ぐな道が残る将軍道
|
| 上の写真では道に沿って電信柱が立っています。人家もない低地部なのに、何故、電信柱があるのかとひとりぶつぶつと考えながら歩いて行きます。右の写真は低地部を渡り、次の丘陵部を上りはじめた付近のものです。今まで歩いてきた方向を振り向いて撮影しています。ここには現在の道の西隣りに写真のような皿底状の窪地が見られます。或いはこの窪地が古道跡なのかも知れません。そして、この付近でも那須烏山市教育委員会による発掘調査が行われていて、側溝を持つ幅約8.5メートルの路面が確認されているようです。その発掘現場でもロームを深く削平して、ロームと黒色土等を混ぜた土を盛り、路面としていたそうです。 | ![]() |
![]() |
|
丘陵に上ったその先では堀割道になっていた。
|
![]() |
その後、その路面の上に盛り土をして、側溝を持つ幅約5.5メートルの路面に造り替えていることも確認されているようです。この那須烏山市教育委員会の調査により、駅路の当初の路面幅は約9メートルで、その後に幅約6メートルに縮小されていることがわかったそうです。
上の写真および左の写真は、丘陵へ上り、その北側に見られる堀割状の道です。この馬屋久保遺跡の将軍道には、多摩丘陵などの鎌倉古道のような堀割道があり、なかでも小白井の丘陵部には堀割道が断続的に見られます。 |
| この堀割道の付近でも市教育委員会による調査が行われていて、硬化面をもつ狭い路面が確認されているそうです。右の写真は堀割道をしばらく進んだ辺りで、道の西側が谷状に崩れています。(写真では左側の林になっているところ) 道が半分だけ谷になっているということは、後の時代に自然災害等で崩壊してしまったことが考えられるのです。古代や中世の古い道は、地形が変わったこと等により、突然に道がなくなったりすることは珍しいことではないのです。古道探索とは、なくなった道跡の先に再び道跡が現れていないか、また地割りや窪地などの道路痕跡が残っていないかを探すことなのです。 | ![]() |
|
|
|
|
馬屋久保遺跡を歩く 馬屋久保遺跡の地図 |
|