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平成20年秋、奈良市の奈良教育大学にて、校舎の改築に伴う埋蔵文化財調査で発見された大型基壇建物遺構の特別公開が行われました。ホームページ作者は関東から遙々と奈良市までやってきて大型基壇建物遺構を見学しました。撮影した写真を整理して「奈良新薬師寺旧境内大型基壇建物遺構」ということで掲載することにしました。 大型基壇建物遺構が発見された奈良教育大学内の調査地点は新薬師寺旧境内地と推定されていて、発見された建物遺構は新薬師寺の金堂跡ではないかと考えられています。上の写真は建物遺構の南西部付近の礎石据付堀形と地固め石で、その背景には多くの見学者が見られます。 |
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現存する東大寺大仏殿に匹敵する大型建物の遺構を発見 上の写真は公開現場の全景でこの写真全域が建物内に入ってしまいます。 |
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以下、説明パンフより 現地説明会のパンフは現説公開サイトを参照ください。 上の写真は凝灰岩延石列と雨落ち溝で、発掘時には雨落溝には瓦辺が瓦溜として検出されていました。写真の延石列の右側は階段部と考えられています。 |
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創建当時の新薬師寺はどのような寺院であったのでしょうか。これまでの新薬師寺の研究では文献資料が中心で、考古学による研究は殆どなかったようです。現在見られる新薬師寺は奈良時代の国宝の本堂と後の時代に建てられた建物がわずかに残るのみで、奈良時代の本堂も創建当時の中心的な建物ではないことがわかっています。創建当時の実態がはっきりしない新薬師寺でしたが、今回見つかった大型建物基壇から東大寺大仏殿に次ぐ大きな建物が存在したことが判明し歴史関連の一大ニュースとなったわけです。 上の写真は建物跡南側に見られる雨落ち溝の遺構と階段部の延石列です。雨落ち溝からは創建当時のものと思われる瓦や、奈良三彩片、乾漆像片などが出土していて、8世紀から10世紀の遺物とされ、10世紀の廃絶の記録とよく一致しているといいます。 |
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新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願のため、天平19年(747)に光明皇后の勅願にて建立されたと伝えられています。平城京には藤原京から遷都後に移転された薬師寺がありましたが、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ということではなく「あらたかな」薬師寺という意味があるそうです。当時は南都十大寺のひとつにも数えられ、四方四町の境内には七堂伽藍が並び一千人の僧侶がいたといわれます。 説明パンフに載っている新薬師寺略年表を以下に転記します。
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建物の南表面には長い階段の存在を想わせる遺構が見られる。 |
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一般の仏堂の正面階段は1〜3カ所程度で、表面中央の一間から三間部に設けられるものが殆どです。この大型基壇建物遺構の階段は南側正面で発掘された延石列から推定で52メートル幅とされる横長の階段が設けられていたことが推定されています。このような横長の階段がある仏堂はホームページ作者にも他の例の記憶がなく極めてめずらしいものだと思いました。 上の写真は建物遺構の南東付近の1.8メートル南に張り出した凝灰岩延石列を西側から真横に見たものです。 |
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上の写真は建物遺構の南東部付近で、多くの見学者がおとずれて熱心に見学されています。 基壇の高さや壷事業の大きさなどから金堂の可能性が指摘される。 長い階段は薬師如来7体を同格の本尊とみるための工夫か。 |